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3:10に向けて

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     6時に早起きした。

     AM8:20〜 自転車で羽村市役所へ向かう。「平成30年の確定申告書の提出」のために4F会場へ。すでに、30人程が集まっていた。ところが、すでに書類作成してあるので、私の順番は「2番」。9時に始まり、「書類OK」で9時10分終了。

     電車に乗って、隣りの福生市に向かう。1日〜3日の「山形県ひろすけ記念館での仕事」に行くための「新幹線チケット」を購入。Sストアーによって、キャリーバックや文具を求めてから、5Fレストランで早い昼食。

     PM 羽村にもどり、CAFEでひと休み。14時帰宅。

     福生市公民館の講演担当の井上日出夫さん(草笛名人)が、「3:10のチラシとポスターが出来た」と届けてくださった(写真)。最近「戦争の話から遠ざかろうとする若者が増えてきた」と聞く。戦争のむなしさ、悲惨さを、いつまでも語り継ぐ「平和活動」を続けていかなければならない。戦場体験者、空襲体験者の年ごとの激減と高齢化。「どのように伝えるか」が、私たちに残された課題。

     爺ちゃん頑張ります。

    漆原智良 * - * 17:33 * comments(4) * - * - -

    コメント

    うるうるさま
     戦争を体験した父たちが「遺言」という雑誌を発行していました。「遺言かあ」。押しつけがましいタイトルだと思いました。いまでも「押しつけがましい」とは思っていますが、父がくぐった苦労と怒りと悲しみは分かります。
    Comment by 内田麟太 @ 2019/02/21 6:56 PM
    >内田麟太郎さんへ
     戦場体験を知らない私たちは、映画・テレビや、話しからしか想像することができません。お父さま「遺言」誌(おそらく詩も取り上げられていることでしょうが)身体をふり絞って私たちに差し出されたものではないかと思います。。戦場(外地)体験者一番若くても92歳になりました。
    Comment by うるうる @ 2019/02/21 8:29 PM
    父は、兄を沖縄で、一番の詩友をビルまで亡くしていました。そして自分は特高に。戦後は‘大牟田の空襲を記録する会」を立ち上げ縁の下を勤めていました。それだけに若い人への通路を願う私には、誌面のデザインが暗く、タイトルが押しつけがましいと感じ、ならば私はどんの方法をと自問してきました。これから書けるのでしょうか。父を思いつつ。
    Comment by 内田麟太郎 @ 2019/02/22 11:18 AM
    >内田麟太郎さんへ
     詩人内田博さんの一側面がぼんやりとですが見えてきました。「デザインの暗さ」「遺言」は当時(昭和20=30年代を反映しているのではないでしょうか?)。反戦に対する、もがき苦しみ、悩みが、私には伝わってまいります。生前一度話をしてみたかったなあ、と思っています。いまは「博さんの思いを、どう伝えるか」、原点に立ち返ってみたいと思います。
    Comment by うるうる @ 2019/02/22 12:06 PM
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